理事長対談 ~ゴリさん・照屋年之監督~

千歳会本部

第13回

お笑い芸人・ガレッジセールのゴリさんと、念願の初対談。少々緊張気味の左理事長ですが、介護の仕事について熱く意見交換をしました。

 

人気お笑い芸人であり、2006年から映画監督としてのキャリアをスタートさせたゴリさん。映画は数々の賞を受賞し、実力派作品として評価されています。笑いと真剣さを行き来する“表現者”として、ご自身の大切なお話をしてくださいました。

 

〇対談相手

ゴリさん

沖縄県出身。お笑いコンビ「ガレッジセール」として1995年から活動開始。ブレイクダンスなどの特技を生かし、数々のバラエティ番組に出演。俳優や番組MC、コメンテーターなどのほか、映画監督・照屋年之としても活躍する。

 

 

 

 

 

人気お笑い芸人としてのみならず、監督業にチャレンジした理由

 

 

理事長(以下、左) ガレッジセールのゴリさんといえば、僕の世代はど真ん中で、テレビでいつも拝見していました。今日はすこし緊張しています。よろしくお願いします。

 

ゴリさん(以下、ゴ) お呼びいただきありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。

 

 ゴリさんはお笑い芸人としてのみならず、映画監督としてもご活躍ですよね。映画制作の世界に足を踏み入れたきっかけを、お聞かせいただけますか?

 

 僕はもともと、日本大学芸術学部の映画学科の演技コースに行ってたんです。役者の勉強をしていたんですが、「お笑い」が全てのエンターテインメントに携われると思って、大学を中退して吉本に入って芸人になりました。

 

 お笑い芸人になってからのご活動は、テレビで見ない日がないほどでしたね。

 

 2006年に、吉本興業から芸人監督を出そうというプロジェクトが立ち上がり、芸人50人に短編映画を撮らせたんです。映画学科出身ってこともあって、その中のひとりに僕も選ばれたのが映画に関わることになったきっかけです。

 

 そんなに前から関わっていたんですか。知らなかった。

 

 はい。そこで初めて、コント以外の脚本を書いて撮影に挑んだんです。もちろん監督なんてやったこともないから、指示が上手くできなかったり、予定の時間がおしてスケジュールが思うように進まなくなったりと、さんざんでした。

最初は気を使ってくれていたスタッフも、どんどんイライラしてきて。夜の22時に終わる予定が朝の4時になるって、そりゃ誰でも怒りますよね。でも、こっちは撮り終わらないと映画が完成しない。

最終的には、カメラマンも照明さんもスタッフみんな当たり強かったです。「次どこのシーンっすか?」ってぶっきらぼうに訊かれたりして。出演をお願いしていた芸人の先輩にも「もうええやろ、いつまでやんねん」って、しょっちゅう怒られてました。

もう誰も味方がいない状態。胃も痛い。ただ辛い。だけど責任があるので、逃げられない。当時は、もう二度と映画なんて撮らない!と思いながら撮影してましたね。

 

 そんなことがあったんですか……。だけど、ゴリさんはいまでも監督業を続けていますよね。ゴリさんの心境に変化があった?

 

 そうなんです。あちこちに謝りながらつくった映画ですからね、撮影期間はひどいものでした。だけど、シーンを全編撮り終えて、次は編集の作業が待っているんですね。

この「編集」をしていたら、いままでこの世に存在しなかった、僕の頭の中だけで思い描いていた物語が映像として繋がっていって、息をしてくるんです。なんなら完成した映画の上映会で、後ろから見ていると僕がねらったところでみんなクスクスと肩揺らして笑っている。これまで存在しなかった世界をつくり上げて、人に見せて共有することができるんだって思った瞬間に、次も撮りたいって思っていました。

 

 映画が完成したら、またちがった感情に……!

 

 この快感がたまらなくって、いまも続けていますね。

 

 

生と死に向き合う映画「洗骨」

 

 

 ゴリさんが監督をされた、2018年公開の映画「洗骨(せんこつ)」を拝見しました。タブー視されがちな「死」というテーマに、真正面から向き合ってつくられた映画だと感じました。ゴリさんは、どのようにこのテーマを決められたのですか?

 

 母親の死がきっかけなんですよね。母は闘病が長くて、入退院をくり返していました。薬の副作用で顔は腫れて、沖縄の病院に見舞いに行くたびに「もう死にたい」って言っていて。僕は「おかあ、そんなこと言うな」とか「大丈夫だ」って、口では言いながらも仕事があるから、長く病院にいれない。沖縄で母を見舞って、すぐに東京に戻って仕事をするという生活でしたね。結局、母の死に目には会えなかったんですよね。容態が急変した時も、東京で生放送の番組に出演していました。

 

 お忙しい最中でのお別れとなってしまったんですね。

 

 沖縄に飛んでいって、母のお通夜に行きました。沖縄で仕事をしている兄二人に変わって、線香番をやりました。線香を絶やさないように、2時間おきにつけに起きて。母ちゃんの横で、仮眠取ったりして。線香を長いのに取り替えた時、母ちゃんにちょっと触れてみたんです。生きてる時に母親の頭を撫でるなんてことはなかったんですけど、ちょっと触れてみた。そしたら、髪の毛も顔も冷たいんですよね。母ちゃんの髪の毛ってこんな細かったんだなとか、喧嘩もしたなあなんて、生前の思い出がよみがえったりして。この時にふと、思ったんです。「この人がいたから俺っていま、この世に存在してんだよな」って。

ということは、母ちゃんを産んでくれたおばあがいた。いまの俺がいるのは、おばあのおかげでもあって、おばあの両親もいて……沖縄戦もあったし、その戦火を生き延びた先祖がいてくれたから……って、何百、何千年って遡った先祖への想いが止まらなくなったんです。

 

 すごく特別で、大切なお話です。

 

 先祖たちの命のバトンが全部繋がって、目の前に横たわっている母の後ろに長い長い時間の道のようなものがあって、母ちゃんがその長い道を歩んでいるように見えたんです。命ってこうやって繋いでいくんだなって思った時に、長編映画の「洗骨」のイメージが降りてきた。

 

 お母様から続く、長い長い命のバトンがあったと。

 

 はい。だから母のおかげなんです。劇中のお母さん役の名前も、僕の母と同じ「えみこ」とさせてもらいました。

 

 

介護をテーマにした映画づくりを?

 

 

 ある意味で、介護は死と向き合い続ける仕事なんですよね。お客様が亡くなれば、職員が最期エンゼルケア(死後ケア)までする。いままで毎日顔を合わせていた方が亡くなれば、それはきついですよ。死を受け入れるのに時間がかかることもある。だけど、我々の仕事として、最期はお身体を清めてさしあげて、その方の思い出をナラティブ、最後の物語としてつむいでいく。「洗骨」は、そんな介護の仕事についてもリンクして観ました。

 

 そうですよね。亡くなった方たちを送り出していく仕事って、精神的にも大変だろうなって、いま聞いて改めて思いました。

 

 介護には「最期を看取る」という仕事があります。だけど、僕はこうも考えていて。全部の人生が100%としてあった時、その80〜90%はあまりいい人生とは言えなかったとしても、人生の終盤の10%は介護職が担うことができる。その残りの1割を引き上げることができれば、その方の人生はよかったと言えるんじゃないか、と。

よく言うんですが、「介護職はエンターテイナーであれ」って。エンターテイメントの力でお客様を感動させ、人生をよりよきものにし、そして最期を送り出すっていうのが介護の仕事の真髄であると思っています。

 

 うちの兄貴も訪問介護士やってましたので、楽なお仕事じゃないっていうのはわかります。

 

 ゴリさんが介護をテーマにした映画を撮るとしたら、どんな作品になるでしょうね?

 

 ……自分の母親が動けない時のことを考えると、未来を見ようとは思わないような気がするんです。過去に触れたいはずだなと思ったんですよ。実際に昔のアルバムを丁寧に見たり、昔の手紙を一通ずつ読み返したりしていたので。

お見舞いに行った時に、母ちゃんに「なんか聴きたい曲ある?」って訊いたら「八代亜紀の雨の慕情」って言うんです。多分母は、この曲に誰かとの思い出があるんですよね。雨の墓場って、禁じられた切ない恋の歌だと思うんです。母ちゃんが、好きな男性のことを思い出していたのかなって。それも母の人生だと思うんですよね。残りの人生が短いことをさとった時、懐かしさを感じさせるものは、大事なテーマなんじゃないかと思うんです。

 

 同感です。

 

 その人が「どう生きてきたのか」。無反応であったり、動けない中でもその人の人生をエンターテイメントとして見せる。

たとえば、その人が思い出として大切にしているあの時の運動会のシーンを、芸人さんが目の前で、同じような衣装を着て演じてみせるとか……。最新作の「かなさんどー」っていう映画は、まさにその「思い出」をテーマにした作品なんです。

 

 とても興味深いです! ぜひ拝見したい。

 

 あとは、「介護を頑張っている人たち」が主役の映画もいいですね。介護の仕事に携わる人たちの心の動きにフィーチャーしたもの。これも面白い作品ができる気がします。

 

 それはぜひやっていただきたいです! 最後に、こういったゴリさんの創作意欲はどこからくるのでしょうか?

 

 誰かの役に立ちたいっていう気持ちが強いんでしょうね。僕にだって、呼吸ができなくなる時が来る。それは逃れもない事実です。だったら、こうやって息が吸える以上は意地でも生ききってやるって思っています。僕にとっての役に立つっていうのは、人が喜ぶものとか、楽しいものを提供する、作り続けるっていうことだから。そればっかり考えてます。

 

 素晴らしいお話を、どうもありがとうございました!

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今回対談いただいたゴリさんが監督を務めた

映画「洗骨」については、こちらをご覧ください★

 

〈 映画「かなさんどー」についてはコチラ

 

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